やるか?きんたま音頭

「なあ!踊(や)ってくれよ!」「でっ、出来ねぇよ!」「頼むよ!もう一度だけ見たいんだ!」「出来ねぇって言ってんだろ!それにもう……そんなことやる歳じゃねぇしよ…ズッ(手鼻)」「おまえが最後にあれ踊(や)ってからまだ半月しか経ってねぇじゃねえか!どうしちまったんだよ!?なあ、頼むよ!頼むから!やってくれよ…これが最後でいいからさ…なあ?踊(や)ってくれよ……グズッ(手鼻)…きんたま音頭」「や、やらねぇよ!お、おれはもう、き、きんたま音頭をを封印したんだ!」「なあ、そう言わずに……」
それで結局この少しあと、踊(や)る。夏休み明け小3の会話。その後もちょっと頼めば、また踊(や)る。興がのれば自主的にも踊(や)る。結局、小学校の卒業式まで舞踏(や)る。
中学校でも踊(や)る。オリジナルに飽き、技巧をこらした『2』を制作するが、ややウケ。その後は衰退の一途を辿る。
数年後。同窓会の半月前から発表を控えトレーニングを始めるが、当日、だれもフってくれず、きんたま音頭は終焉を迎える。
十数年後。志なかばにして彼は40才を手前に、この世を去る。
7年後。墓地。「もう七回忌か。早いもんだな」妻「どんな人だったの?」「きんたま音頭の創始者だよ」妻「なにソレ?」子「きんたま音頭ってなに?…ズッ(手鼻)」「パパもよく知らないんだが…確かこんな感じで…」と言って、踊(や)る。妻「ちょっと、こんな場所でやめてよ…」だが私は、彼の墓前で、見よう見真似のきんたま音頭を舞踏(や)り続けた。そんな私の姿を、つい先日9才になったばかりの息子が、真剣なまなざしでじっと見つめている。