レッカー

ガードレールに座ってぼーっと、何時間も何時間もぼーっと座っていたらレッカーされてしまった。人なのに。台車に乗せられてレッカー車で牽引されていると小学生が俺を指差してげらげら笑っている。小学生が。トサカにきたので小学生群に向かって唾を吐こうとしたが、口ん中が乾いてて唾があんまり出ねえ。時速60キロから吐き出された唾(少量)はみるみる失速して後続車の助手席側フロントガラスに命中。その助手席に座っていた梓は唾に驚いたはずみに運転していた信彰に思い切り目つぶしをしてしまう。目の前に突如あらわれ突き刺さった指に驚いた信彰はハンドルを思いっきりきって車はスピードそのまま歩道に。そこを歩いていた小学生群はばたばた轢かれ、次々とはね飛ばされるクラスメイツが慶太(小2)にはまるでスローモーションの様。だが暴走車は慶太をわずかにかすめただけで老人ホームに激突。激震に驚いた老人達は表の様子を見ようと歩ける者は杖を手に、またある者は颯爽と車椅子に乗りこみ続々とエレベーターに殺到する。エ
レベーターには9人の老人と一人の看護士を乗せドアが閉まる。あわや一命をとりとめた慶太は今やスクラップと化した暴走車を眺め驚愕する。車の割れた窓ガラスからわずかに覗き見ゆる助手席の女、あの横顔は目元のホクロは実姉の梓ではないか!すると慶太の足元から「ううう」と呻き声が。それは慶太のクラスメイツである長沼竜司!竜司は耳と鼻から血を流し左腕が変な方向にねじれて胸から下は車輪の下に慶太の足元に倒れていた。だが今の慶太には姉の梓だけが気がかりだった。一瞬だけ竜司と目を合わせ、すぐにそらすと事故車の反対側に回り姉に大声で呼びかける。そんな梓は事故の衝撃ですっかり気を失っており弟の呼び掛け虚しく何の反応も示さなかったが脳内では光に光に向かっていた。光。光に近づけば近づくだけ体が軽くなっていくようだ、きっとあの光に接触したら私は死ぬんだろう。それとももう死んでるのかな?生死の境を彷徨う梓を横目に、運転席の信彰はハンドルを握ったまま死んでいた。死ぬ瞬間、信彰は強烈な光を見、それを目つぶしだとは認める前に
かたく目をつぶったが、しばらくして目をあけるとすでに自分が光の中にいることを悟った。その光によって自分が死んだということもなぜか理解していた。だがなぜ死んだのかは思い出せなかった。思い出そうとしたが何も思い出せなかった。信彰はそれまでの人生、あらゆる過去を思い出せなかった。こうして信彰はレッカーされた。いっぽう俺は物理的にレッカーされていた。台車に乗って牽引されてもうどのぐらい経っただろう?もうすっかり夜だし、この夜も一度目の夜じゃない気がする。ずっと眠ってた気もするしただ忘れてただけの気もする。とにかく疲れている。疲れて腹も減っているし寒くてたまらない。もう帰りたいなあもう帰りたい。もう帰りたい。もう帰りてえ、とあくびを噛み殺しながらレッカー車を運転している和彰は思った。もう4日も家に帰ってない。こんなクソみたいな会社もう辞めてやる。今度は本当に辞めてやる。辞める。なんで人間をレッカーしなきゃならねえんだ。ただガードレールにすわってただけの男をレッカーする理由がどこにある?何のための
レッカーだ?何のためのレッカーだろう?何のための?何のために誰に向かって?誰に?誰か聞いてるんだろうか?俺の声が聞こえてるんだろうか?そもそも俺の声は出てるのか?全身が痛えし感覚がぼんやりしている。竜司は倒れたまま叫んだが、それは声にならなかった。聞き取れない呻き声が漏れるだけだった。だが近くで誰かが叫んでいる声は聞こえた。聞き覚えのある声。誰だっけ?思いだせないまま竜司は失神した。先に失神した姉に慶太は呼び掛け続けたが、すでに姉の呼吸は止まっていた。事故車の衝突した老人ホームではエレベーターが二階と一階の間で止まっていた。エレベーター内には老人9人と看護士ひとりがに閉じ込められていた。エレベーター内は時間の流れが遅く、全員が喫煙者だったので全員がたて続けにタバコを吸った。10人全員が自分の手持ちタバコを吸い尽くすと10人は疲れて床に座ったり折り重なって横になった。やたらと長く感じられた。いつまで止まってるんだろう?いつまで止まってるんだ?ああタバコ吸いてえなあ。もうねえ。いつ
まで止まってるんだ?10分後エレベーターが開いた。その中にはたくさんの死体とたくさんの吸い殻があった。それは全員ひからびてまっ黒のミイラみたいな死体だった。実際ミイラだった。ヤニで薫製になったわけではなく時間と乾燥による純正ミイラだった。吸い殻は既に原型不明の黒い塊と塵になっていた。死体の数は9体だった。