名文紀行33

――早川書房編集部「日本SF・幼年期の終り ―『世界SF全集』月報より―」より
●定石的に例えばウエルズやクラークやハインラインではなく、ハックスリイとオーウェルを目玉として第一回配本に持ってくる、という意表をついた発想の販売戦略だった。「SFも文学たり得ることを既成のファン以外にも知ってもらう機会にしたい」というのが、福島さんの基本的な考え方だったのだ。森優
●SFに書かれていることは、笑いごとではないのだ。と同時に、笑いごとでもあるのだ。となると、SFというしろものを読んで面白がる人類の存在は、どういうことになるのだろう。このような人類を発生させた地球、いや宇宙そのものは、いったい笑いごとなのだろうか、笑いごとではないのだろうか。星新一
●もしもSFがなかったら、ぼくなんか、いったいどうなっているだろう――そう思うと慄然とする。筒井康隆
●SFなのかどうかわからぬ自分の頭の中にあるものの中へのめり込んでゆくばかりのくせに、きいたふうのいいかたはやめるべきではなかろうか。点睛の前に竜を描くのが、順序なのだから。眉村卓
●シマックの『都市』を読んだとき、その頃は私もSFを書くようになっていましたが、心がしいんと冷えてゆくような気がしました。光瀬龍
●三島氏はかつて、SFこそ近代ヒューマニズムを克服せよと叫び、われわれSF作家を啓発してくれた人である。真の天才三島氏がついでに文学を否定して死んでしまったので、文学者は大ショックを受けているが、もちろん近代ヒューマニズムを克服したSF作家のぼくは平気である。自己の立場を再確認しただけだ。平井和正
●いろんな小説の中でも特に私がSFを面白いと思うのは、その嘘がいちばん大きな種類の小説だからなんです。半村良
●ふすまを食べ、玉蜀黍をかじりながら、ぼくはスペースオペラに酔い、宇宙の美女を抱き、山海の珍味を食べたんだ。デネブのステーキを知り、ポラリスの三色海老を知るものにとって、地球の食べ物なんざ、ま、当座の口しのぎ。
過去と断絶してSFに飛びこんだぼくにとって、芥川はブラッドベリに変わり、乃木大将はハインラインと変わった。矢野徹
●SFは〈楽器〉か〈武器〉か、という論議があるが、これは設問がおかしいので、すぐれた楽器であることによってより強力な武器になりうる、と考えるのが妥当だろう。石川喬司
●SF愛好者とマンガファンとは相通ずる場合が多い。一般の文学マニアがマンガを軽視することとは、まったく奇妙な対照である。マンガの中に含まれたファンタジックな要素と文明批判的要素がSF的感覚に不思議なハーモニーをもたらしているのかもしれない。手塚治虫
●SFとは何か?逃避の文学、可能性の文学?そんなことはどうでもいいことです。面白いことそれ自体が、高貴や難解と同様にひとつの立派な価値を持っていると思います。石森章太郎
●なにかただごとでない刺激を、私は初めてSFから感じたものだ。経験あるいは体験という日本語だけでは、こころもとなくて、どうしてもイクスピアリアンスといいたくなるような感じだった。
/どういうものか、SFのほうがストーリイを早くわすれる。ひどいときには、読みおわったとたんに、わすれている。都筑道夫
●SFはどこへ行くのか。その先の見通しは明るいと、いまぼくは思っている。なぜなら、まだ成年期の活力にみちたぼくたちの国のSFが、休むことない前進をつづけながら、新しい領域を切りひらいているからだ。浅倉久志
スペース・オペラは、決して死んでしまうことがない。いやむしろ、SFがさまざまの理由から頭打ち現象をおこし力を喪おうとするとき、必ず不死鳥のように復活する。そしてそれは、読者のなかにつねに存在する年少グループだけでなく、SF界全体に、一つの分析のむずかしいエネルギーを励起するのだ。つまりそれは、SFにとってつねに一つの見果てぬ夢なのかもしれない。福島正実
推理小説に必要なのは求心的思考なのだが、SFの場合は、むしろ遠心的思考をしなければならないようだ。“思考実験”というようなことが言われるのは、その点なのであろう。
推理小説とSFとは、親類どころか、まさに正反対のものであった。佐野洋
●私はSF小説は、科学的知識によって束縛されるものではなく、むしろ、それによってイマジネーションのわくをひろげられるものだという考えをもっている。/要するに、科学的たらんとして、想像力の翼をしぼませてしまうのは愚の骨頂で、ひとつの科学的な手がかりがあれば、それを土台にして、未知の世界を創造することがSFを書く楽しみだと思っている。生島治郎
●数十頁もの長いSF漫画と称する作品のSの部分は、放射能で突然変異というたった八文字で片づけられたり、忍者もどきの漫画を描いて、テレパシーとハイカラな呼び方にしただけであったり、画面の中に数本の試験管とフラスコを置いたテーブルを描きこんだだけでSFを自称したりするその程度なのだ。いずれも内容はSFのSの字が泣きたくなるような連続アクションの大活劇。マッド・サイエンティストやマッド・ドクターにロケット、ロボット、宇宙人が入りみだれての大乱闘を演じる。イージーといえばそれまで。水野良太郎
●一生涯SF漫画ないしSF的な漫画を描こうという、ドロ沼のような天国へ私をひきずりこんだ/だが実に楽しいドロ沼で、いつどこで何が出るか始まるかわからない“センス・オブ・ワンダー”に満ちた別世界なので、一生退屈せずに暮らせそうである。/実に嬉しくて気が狂いそうだよ……松本零士
●SFというものは、食物でいうと塩辛に似ている……と思う。/好き嫌いについてはっきりした対立をつくりなす点で似ている、と考えるのだ。もちろん、嫌いのなかには食わず嫌いもはいる。
/附記。ぼくは実のところ塩辛が大きらいなのであります。松谷健二
●悟った人間の目に映る世界は、きっとひどく新鮮なものであるにちがいない。新鮮であるが故に、それは現在の言語体系をもってしては表現し得ない。同じようにほんとうに新しいS・Fもまた、書かれざるS・Fであるのかもしれない。谷川俊太郎
●アメージング以前の超古典SF書と知れば、何を措いても買いまくった。おかげで大学在学中の四年間は一日として昼飯にありつけたためしがなかった。団精二
●たとえばアシモフの「夜来たる」だとか、ハインラインの「帝国の論理」、「時の門」などをあしらった表紙はなにかこう、わくわくするような、あのSFの醍醐味――センス・オヴ・ワンダーそのもののように思えるのである。野田昌宏
●イギリスSFとアメリカSFのちがいは/簡単にいえば「静」と「動」の違いだろうか。/それにしてもイギリスSFのなかに破壊テーマが異常に多いのは、どうしてなのか。文明批評の好個の材料だというほかに、その国民性に根ざす奥深い理由がありそうだが、それはよくわからない。伊藤典夫
●ぼくの考えでは、かつてSFが〈ヌーヴォ・ロマン〉などの小説革命を先取りしたと同じように、今後は逆に純文学がSFの可能性を先取りするようなことが必ず起ると思う。
/近い将来にSFが純文学作家の貪欲な好奇心の奴隷になることは必然であるように思われる。三輪秀彦
●私は十数年来なんとはなしにロシア語のSFを集めて来たが、苦労といえばそれなりの苦労がある。
/ソ連の対外書籍輸出の窓口はひとつしかない。/カタログは既刊書の案内ではなく原則すべて出版予告であり、半年から一年先に出版される予定のものを載せている。
/カタログが手許に送られて来たら、丹念に目を通し、出来るだけ早く注文するのがソ連書を買う一番安全な秘訣である。/ここで躊躇ったり、見落とせば永久に手に入らないものと覚悟しておかなければならない。深見弾