名文機構17

しかし、ぼくは、テッペンに何があったか、どんな様子だったか、覚えていない。じつの話、石段や“鳥居”だって京都の祇園だって何だって同じだ。よく覚えているし忘れる事のできないのは、その時の“感じ”だ。そのとき心にきざみ込まれた“驚き”と“感激”とそして“興奮”と“喜び”なのだ。どうしてもわすれられないのはその時の自然ではない、“自然から直接にぼくが受けたもの”なのだ。

谷東次郎『がむしゃら1500キロ(全)』より