鍋と蓋の話

QFWFQ2008-11-03


今回の話は書くべきか否か迷い迷った末、書く決心をつけた。これは実際にあった話だ。 鍋を買った。なべ。直径18センチ深さ8センチの片手用取っ手のついたやつ。内面はフッ素樹脂加工。ガラス張りのフタも付いてる。このサイズは一人暮しで自炊する人はたいてい持ってると思う。使い勝手がいい。そんな便利な鍋をどうして買ったのかというと、今まで使っていた同じサイズの鍋がこわれた。鍋が壊れたというと、ものすごい衝撃によるダメージでひしゃげて底に孔があいたようなイメージを持つかもしれないが、そうではない。もっと地味だ。取っ手の付け根の金属がはずれて小さな孔があき、その孔から水漏れする。2ミリ程の小さな孔だが、そこから漏れる水がコンロに流れ続けるのでいらいらする。今より物のない時代だったら修理して使うかもしれないが、今回は買った。そもそもこの壊れた鍋と私の付き合いは数年になるが、はっきりした年数は不明。一人暮らしを始めるにあたって、実家から持ってきたのか自分で買ったのかさえ覚えていない。買った記
憶はないからたぶん持ってきたんだろう。壊れるまでぞんざいに扱ってきたが、ずいぶん世話になったと思う。鍋もこんなあっけない最期を遂げるとは思わなかっただろう。今回買った鍋に比べると、フッ素樹脂加工してないしフタも銀色で中身が見にくい、と劣るところが多い。そして壊れてみて気付いたが、私はこの鍋に何ら愛着がないのだ!おそらく自分で買ってないし。世話になったことは確かだが、それはいわば仕事の上での付き合いでだ。ビジネス・パートナーとしては非常に優秀だったがプライヴェートではいっさい会話なし、といった感じか。そんな長年過ごしたお鍋ともお別れするわけだが、ひとつ気掛かりがある。それは鍋といっしょにフタも捨てなければならないことだ。フタは無傷。しかし鍋とは一蓮托生。伴に死なねばならない。だが鍋とフタが常に伴だって活きていたとは言えない。フタの使用頻度は極端に少なかった。そもそもこのサイズの鍋は、インスタントラーメンや手間のかからない一食分の料理に多く使われる。従ってフタを使う場面はあまりない。食器棚
の奥底で日陰者として生涯の大半を過ごし、己に責任はないが青天の霹靂にして鍋と同時に処分される悲しい運命(さだめ)。逆さにすればちょっとお洒落な植木鉢として使えるかもしれないが、捨てる。お洒落かどうかも疑問だ。 今回は完全にどうでもいい話をだらだら書いたが、これが本来ブログの在るべき姿なのかも知れない。それこそがブログとして意義ある文章なのかも知れない。わからない。私たちは気付かぬうちに、どこか鍋を無くしたフタのようになっているのかも知れない。もう、なんだかわからない。考えてみてほしい。