名文紀行47

●人間はすべてをまずかたちとして認識する。かたちとはなんだろう――輪郭だ。輪郭とはなんだろう――境界だ。境界とは――事物が接し、せめぎ合う界面。そこには必ずちからが介在する。いままで見すごしていた平凡な部屋の、あらゆる輪郭、明暗、色彩にちからが宿っているのだと錦は思った。世界ってこういうふうになっていたんだと思った。世界はあふれんばかりの力に満ちている。そのせめぎ合い(やその痕跡)の境界を、たまたまヒトはかたちとして認識しているだけなのだ。ちからは、いつもすぐそこにある。手の届く場所にみなぎっている。
●“人は五官を通してしか、宇宙とかかわっていけない”。私はおのれの言葉の意味を思い知らされていた。皮肉な警句を私はのべたはずだったのに、しかし、人間は五官があってこそ、こうして外界と対話できるのだ。うれしい敗北だった。
●「墓は人ではないし、墓碑銘はその人の言葉ではない」
「では自分自身をつねに書き換えているような墓碑銘があったら?」
「生きているものは落ちつかないさ。墓が次に何を喋るのかわからないからね」
「ぼくは煩い墓なんですよ。この世界では大きな声で話さないと、だれも聞いてくれないから」
――飛浩隆『象られた力』より